なんでこうなるの?
私はヘンリーと向かい合っていた。
先ほど祖父がヘンリーを呼び出し、私の前へと座らせた。
そこへちょうど通りかかった龍も捕まってしまい、祖父の斜め後ろに座らされることになった。居間の中央で正座をし、向い合う私とヘンリー。
その横では、祖父があぐらをかき腕組みをし、私たちを真剣な眼差しで見つめている。 そして、その斜め後ろには、硬い表情で私達に視線を送る龍がいた。なんなの、この構図は……。
「さあ、存分に語り合うがいい!」
祖父の掛け声と共に、試合開始のゴングが鳴った。
いや、私は普通にヘンリーと二人で話したいんだけど……。
私は気まずくて、さりげなくヘンリーのことを盗み見る。
ヘンリーは先ほどからずっと下を向いたまま、私と視線を合わせない。私は意を決して切り出した。
せっかくの機会なんだから、ここで謝らなきゃ私じゃない!
「ヘンリー、あの……さっきは、ごめんね」
気合を入れたくせに、私の声はだんだん尻すぼみになっていく。
しかし、ヘンリーは勢いよく顔を上げ、私のことをまじまじと見つめてきた。「……なんで流華が謝るの?」
本当にわからないという表情で、その潤んだ瞳を私に向ける。
「だって、私、ヘンリーに酷いことを」
「ううん! 僕が悪いんだよ。流華の気持ちも考えずに一方的につきまとって。 ……僕はやっぱり駄目だね。今まで誰にも怒られたことなかったから、何が駄目なことなのかわからないんだ。 でも、流華は正直に僕に気持ちをぶつけてくれた、嬉しかったよ。 流華に嫌われてしまったことは、すごく悲しいけど……また好きになってもらえるまで僕あきらめないから、頑張るから! 傍にいることを許してほしい」ヘンリーは懇願するように、その綺麗な顔を私に近付ける。
どうやら、私たちの間で誤解が生じているようだ。「あのねヘンリー、私は別にあなたのこと嫌いになってないよ。
ただ、もう少しだけ私に自由な時間がほしかっただけで。なのに、あんなにきつい言い方しかできなくて。私も反省してたんだ。 ……ヘンリーこそ、私のこと、怒ってないの?」私は恐る恐る窺うようにヘンリーを見つめた。
「怒る? なんで? 僕が流華のことを嫌ったり、怒ったりするわけないだろ」
ヘンリーが私の手をぎゅっと握り、顔を至近距離まで近づけてくる。
一瞬息が止まり、心が高鳴った。「僕はまだ流華の傍にいて、いいの?」
キラキラと輝く瞳が私を捉える。
なんだか、吸い込まれていきそうだ。「……もちろんだよ。私もヘンリーがいないと寂しい。
ただ、四六時中一緒っていうのは、やめてね」私が微笑みかけると、ヘンリーは嬉しそうに何度も頷いた。
「わかった、努力するよ! また気に喰わないことあればすぐに言ってね。
僕、流華のためならどんなことでもするから」なぜかヘンリーの顔がどんどん近づいてくる。
私は逃げることもできるはずなのに、体が言うことを聞かず、動けない。彼のことを待って、る?
一体、私はどうしたっていうの!「うぐっ」
ヘンリーが突然変な声を出したので、私はいつの間にか閉じていた目を開けた。
なんと、ヘンリーが龍に羽交い絞めされているではないか。
「ちょ、龍! 何してるのっ」
「お嬢、なんでじっとしているんですか! こいつはお嬢にキスしようとしてるんですよ!」龍に言われてはっとする。
そういえば私、いつもヘンリーにキスされそうになっても逃げていない。 なんでかな……だって、嫌じゃない、から?挨拶を終えた龍は、忙しそうに台所へと戻っていく。 今も魚の皿を手に、居間の机へと料理を運ぶ途中だった。それを置くと、すぐにまた台所へ引き返していった。 朝食の準備に追われているみたい。 私と祖父の食事は、いつも龍が作ってくれている。 彼が家に来たときから、ずっと。 率先して家事をしてくれる龍。 私、家事は苦手だからほんとに助かる。 それに、龍の料理は超美味なのだ。 いつも、家庭的な料理を、手際よく華麗に食卓へと並べていく。 龍って、なんでもできるんだよね。 家事全般、お手のもの。 料理、洗濯、掃除——主婦も顔負けだ。 もちろん、私も負けてる。 朝の支度を整え、居間に向かう。 机の上には、三人分の朝食が所狭しと並べられていた。 白いご飯に、お味噌汁、焼き鮭、お漬物、そして納豆。 まあ、朝から豪華だこと。 目を輝かせていると、後ろから祖父の声が飛んできた。「流華、そんなところに突っ立ってないで、座りなさい」「はーい」 いつもの席に座ると、祖父も向かいに腰を下ろす。 私の隣には、龍の料理も並べられていた。 三人で揃って食卓を囲むのが、毎朝の日課だ。 祖父は龍が淹れた熱々のお茶をすすりながら、真剣な表情で新聞に目を通している。 いつものおちゃらけた顔とは、まるで別人。 こういうときは「さすが組長だな」と思わなくもない。 祖父は如月一家の組長、如月大吾。 組の人たちからは恐れられているらしいけど、私にはただの優しいおじいちゃんだ。 よくおふざけが過ぎるときもあるけど、祖父いわく、それも愛嬌……らしい。 たくさんの愛情を注いで、私を大切に育ててくれた。 本当に尊敬しているし、大事な家族だ。 「いただきまーす」 準備が整い、龍も席に着いたところで、三人そろって合掌する
ヘンリーたちと別れ、早一年が経とうとしていた。 あれから、私と龍とおじいちゃんは、ヘンリーたちとの思い出を胸に仲良く暮らしている。 平穏な、普通の毎日。 ……違うことと言えば、私と龍が付き合ってること、くらいかな。 龍のことを思い浮かべると、自然と口元がほころんでしまう。 ちょうどそのとき、廊下の向こうから龍が歩いてくるのが見えた。 その姿に胸が少し高鳴り、心がふんわりあたたかくなる。 目の前に来た龍は、私に優しく微笑んだ。「おはようございます、お嬢」「おはよう、龍」 え? なんで流華じゃなくて、お嬢かって? そう、せっかく呼び方が「流華」に進化したかと思ったのに。 いつの間にか日常では「お嬢」に戻っていた。 二人きりの甘い時間のときだけ、「流華」って呼んでくれるんだよね。 まったく、もう。 彼は、神崎龍之介。通称、龍。 私の恋人であり、組の若頭。 ……組っていうのは、うちが極道一家だから。 私は如月家組長の孫娘、如月流華。 幼い頃に両親が亡くなってからは、祖父に育てられた。 だから、ごく普通の女子高生……ではなかった。 極道の世界で生きる人たちと暮らし、学校や世間からは、ちょっと距離を置かれている。 それが私の日常。 いろいろあって、龍と付き合うことになったんだけど……。 自分の気持ちに気づくまでが、長かったんだよね。 最初は龍への気持ちに気づけなくて。 でも、親友の貴子の助けや、ヘンリーの存在。 いろんな人に背中を押してもらったおかげで、ようやくわかった。 あ、ヘンリーっていうのは、私に会うためにタイムスリップしてきた王子様。 過去生で私と恋人同士だった彼は、その想いが強すぎて、恋人の生まれ変わりである私のもとへ……。 っていう、もうほんと信じられないような出来事があった。 彼が現れてからは、私の周りは
私はベッドの上で、深い眠りについていた。 時刻は、真夜中の丑三つ時。 ――ゴトッ、と物音が聞こえた。 ガバッと上半身を起こす。 え、今の音……何? 暗闇に神経を集中させ、耳を澄ませる。 何を隠そう、私はかなりの怖がりだ。 幽霊の類は超苦手。 真夜中、静寂、暗闇、物音。 こんなに怖い条件がそろっていて、何事もなかったように眠れるわけがない! 私はバクバクする胸を押さえながら、キョロキョロと辺りを見渡す。 けれど、月明かりに照らされた部屋は、見慣れた風景のまま静まり返っている。 特に変わった様子は、ない。「き、気のせいか……そうだよ、きっと気のせい」 無理やり結論づけると、さっきまでの恐怖をなかったことにしようと布団に潜り込んだ。 ――ゴトゴトッ。 さっきよりも大きな音が、部屋の中に響く。 ひぃー! 助けて、ごめんなさい! 恐怖が絶頂に達した私は、何に謝っているのかもわからないまま、ひたすら心の中で謝り続けた。 頭から布団をかぶり、目をぎゅっと瞑りながら、念仏のように「ごめんなさい」を繰り返す。 そして、ふと思う。 あれ? ちょっと待て。 今の音……どこから聞こえた? おそるおそる布団の隙間から顔を出し、音のした方向へ視線を向ける。 机の引き出し。 あの辺りから、だよね? その引き出しには、あの指輪がしまってある。 そう、ヘンリーから貰った指輪だ。 ごくりと生唾を呑み込み、私は意を決して布団から抜け出した。 そろりそろりと、机へと近づいていく。 机の前に立ち、引き出しをじっと見つめる。 震える手を伸ばし、恐る恐る取っ手に手をかけた。 ええい! 思い切って引き出しを開けると、その瞬間、強烈でまぶしい光が溢れ出す。 部屋の中は、昼間のように真っ白に照ら
しばらくすると、アルバートがヘンリーの様子を見に部屋へ戻ってきた。 音を立てないように、そっとドアを開け中へと入っていく。 ソファーの上では、ヘンリーが幸せそうな顔でスヤスヤと眠っていた。「おやおや、しかたない方ですね」 アルバートはヘンリーの体にそっと毛布をかける。 そのとき、ヘンリーの頬に涙の跡があることに気づいた。「ヘンリー様……」 起こさないように、アルバートはヘンリーの頭をそっと優しく撫でた。「苦しいでしょうが、頑張ってください。私がついております」 その寝顔を見つめながら、アルバート自身も流華たちとの日々に思いを馳せた。 懐かしく、騒がしくも目まぐるしい……。 しかし、とても充実した、幸福だった日々。「大丈夫、いつの日かまた会えます。その日を夢見て待ちましょう……」 そのとき、窓から射しこむ優しいひだまりと、暖かな風が二人を包み込む。 それは流華たちとの日々のようだった。 あたたかくて、幸せな―― 二人は幸せな夢を見る。 大好きな人のことを思い出しながら。 ◇ ◇ ◇ 「え?」 一人部屋にいた私は、なぜか誰かに呼ばれた気がして振り返った。 しかし、誰もいない。 当たり前だ、ここは私の部屋で、今は一人なのだから。 ふと、ヘンリーのことを思い出す。 彼らは元気で暮らしているだろうか。 そのとき、コトッと物音がした。 そこは、あの大切な“もの”をしまった場所。 私はそっと机の引き出しを開けた。 そこには、ヘンリーから貰った指輪が置いてあった。 小さな箱を手に取り、高鳴る胸とともに箱を開く。 可愛らしい指輪が姿を現すと、その指輪が一瞬輝きを増した。「……ヘンリー?」 もちろん返事はない。 でも返事をしてくれているような気がした。「お嬢ー、朝ごはんができましたよー」 下から龍の声が聞こえる。「はーい! 今行くー」 私は指輪にそっと触れると微笑んだ。「行ってきます」 元の場所へ指輪を戻すと、私は部屋を出て行った。 ヘンリー、私はあなたのことを決して忘れない。 だって私が時を超え、愛した人だから。 今は違う時代を生き、違う人を愛しているけれど。 きっと、またあなたと出会える。 何度も、何度でも、きっと…… 大切な思い出を
時は遡り、十九世紀後半―― 場所はイギリス。 王宮内にある一室から、王子の嘆きが響き渡っていた。「あーあ、つまんないっ」 ヘンリーはムッとした表情をしながら、やわらかそうなソファーにドカッと座る。 広い部屋には大きなベッド、豪華な机とソファー、いくつかの本棚が備え付けられている。 床に散乱しているのは、大きな動物のぬいぐるみたち。 これはヘンリーが寂しくないようにと、アルバートが配慮し用意したものだった。「ヘンリー様、いつまでもそのような態度ばかり……いい加減、大人になってください」 散らかった部屋を片付けながら、アルバートが辟易した様子でヘンリーに声をかけた。 流華と別れてから、ヘンリーはずっとこんな調子だ。 以前のように笑うことも減り、いつもつまらなそうな表情を浮かべている。 アルバートにはその理由がわかっていたが、ヘンリーのためにも流華のことを忘れさせようとしていた。「そうだ、ヘンリー様。 今日もシャーロット様が遊びに来る予定ですよ」 アルバートが嬉しそうな微笑みをヘンリーに向ける。「ふーん、あ、そう」 ヘンリーは相変わらずな仏頂面だ。 その様子に、アルバートは大きなため息を吐く。 持ってきたある物をヘンリーに見せつけながら言い聞かせた。「シャーロット様がお嫌なのでしたら、こちらの方はどうですか?」 それはお見合い写真だった。 とても綺麗な女性がにこやかな表情で映っている。 かなりの美少女だ。 そんじょそこらの町娘とは格が違う。 綺麗で艶やかで色気もある。王家に相応しい気品と美しさを兼ね備えた女性。 近隣諸国のどこかの姫らしい。 普通の男なら大喜びするだろう、しかし……。 アルバートはこっそり、ヘンリーの態度を観察する。 写真をちらりと見たヘンリーはすぐに顔を背けた。「&h
「ヘンリーたち、元気かなあ」 夜空の星を見上げながら、私はふとつぶやいた。 この世界とヘンリーの世界は繋がってはいないけれど、夜空に輝く星を眺めていると、想いは繋がっているような気がしてくる。 つい懐かしくて、ヘンリーたちの顔が頭の中に蘇った。 私のお気に入りの場所、縁側。 大きく伸びをして、空気を胸いっぱいに吸い込む。 気持ちがよくて、大きく長い息を吐いた。 龍が用意してくれたお茶を一口飲む。 温かくてほっとする。心も安らいでいくようだ。 はあ、幸せ。「あの人たちなら、きっと元気ですよ。 いつも煩いくらい騒々しい人たちでしたから」 隣に座っている龍が私に微笑みかけ、一緒に夜空を見上げる。 月明りに照らされた龍は、なんだか色気があって……その横顔にまた見惚れてしまう。 その視線に気づいた彼が、こちらを向く。 視線が交わった途端、慌てた様子で咳き込んだ。「お嬢、そんな見つめないでください……恥ずかしいので」 真っ赤になってしまった龍に、今度は私が噴き出す。「龍ったら、本当に見た目によらず乙女だねえ。可愛い」「なっ!」「あ、これ褒めてるんだよ。私だけに見せてくれる龍、嬉しいから」 私が可笑しそうにケラケラ笑うと、龍はたじたじという顔をしながら目を泳がせた。 愛しい人……私の王子様。 やっと気づけた、この気持ち。 嬉しくて、目を細めながら龍を愛おしく見つめる。「お嬢……その顔は反則です」 龍は顔を真っ赤にしながら、何かに耐えるように苦しげに眉を寄せた。 え? 私どんな顔してたの? 恥ずかしいっ。 顔が熱くなる。 きっと私も顔が赤くなっているに違いない。 恥ずかしくなってきて、私は龍から顔を背けた。